元々の英語は"reasonable accommodation"
accomodationは「配慮」というよりも「調整」に近い意味合いなのではないかと思う。
「配慮」と言うと「要求するもの」「提供してあげるもの」という関係性がイメージされる。「提供してあげる」側が上位、「要求する」側が下位という概念が、無意識であっても根底にあるのは否めない。
障害があろうがなかろうが対等であるという関係性を前提とするのであれば、「配慮」というよりも「調整」とするほうが近いのではないかと考える。「要求」「提供」という一方向の関係性というよりも、お互いにとって合理的な落としどころを探り、歩み寄るのである。
たとえば学習場面におけるreasonable accomodation。
読み書きに困難がある生徒の知識技能や思考判断についてどのように学習評価するか。
多くの生徒と同じように、紙に印刷されたものを読んで自筆で答えるような試験では、この生徒の知識技能や思考判断を正確に見取ることはできない。読み書きができることと学習内容を理解していることは別モノ。
代読や口頭など、代わりの手段を講じることにより、その生徒の学びを見取ることができる可能性があるのではないか。しかし残念ながらそういった手段を講じることに対して「特別扱いはできない」などと難色を示す学校や担当者はまだまだ少なくない。
教員の仕事は学習指導をするだけでなく、生徒の学びを見取り、更なる指導に活かすことであるのは言うまでもない。見取るための手段を個に応じて講じることは教材研究と同じぐらい注力されるべき部分だと思うのである。